2016年05月05日

ラーメンの  真実をどれだけ知っていますか

モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と

東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。


東洋経済オンライン より





01. 「ラーメン」とは中華麺とスープ、チャーシューやメンマなどさまざまな具材を組み合わせた麺料理のこと

 02. 「拉麺」「老麺」「柳麺」とも表記されるが、ほかに中華そば、支那そば、南京そばなどとも呼ばれる

 03. 使用される麺は「小麦粉」を原材料に、「かん水」というアルカリ塩水溶液を添加するのが特長

 04. そのため同じ小麦粉を原材料とする麺でも、うどんや中国の多くの麺料理とは異なる独特の色や味をもつ

 05. 多くの場合、自家用の製麺機で製麺するが、製麺会社が製造する麺を使用する店もある

 06. 麺と同様に重要視されるのが「汁(スープ)」で、原料によって味や色、風味にさまざまな違いがある

 07. 日本のラーメンの原点とされる「醤油ラーメン」の場合、鶏がらを基本に野菜と削り節や煮干で味を調える

 08. ラーメンの出汁には豚骨、牛骨、昆布なども使用され、臭み消しには長ネギ、生姜など香味野菜が使われる

 09. それら複数の出汁をまとめるために、店によっては「旨み調味料」(化学調味料)を添加する場合もある

■ 日本で最初に「中華麺」を食べたのは? 

 10. 日本で最初に「中華麺」を食べたのは、常陸水戸藩の第二代藩主・徳川光圀(水戸黄門)といわれている

  11. 1659年に明から亡命した儒学者・朱舜水が水戸藩に招かれた際の所持品リストに中華麺関連のものが存在

 12. 中華麺を献上したという正式な記録はないものの、光圀は食通としても知られるため可能性は高いとされる

 13. 1697年には光圀の隠居所・西山荘を訪問した僧や家臣らが中華麺を振舞われたという記録が残っている

 14. その後、江戸時代に開港した横浜・神戸・長崎・函館などに明治期に誕生した「中華街」から麺料理が発展

 15. 1884年、函館・船場町の中華料理店「養和軒」が「南京そば」を15銭で提供する広告を函館新聞に掲載した

 16. 養和軒は大正時代まで南京そばを提供したとされるが、資料が乏しく現在のラーメンの祖とは断定できない

 17. その頃、横浜中華街でも南京そばの「屋台」が引かれはじめ日本各地で本格中華料理店が続々開店していく

 18. 1905年には長崎「四海楼」の陳平順が「支那饂飩」を考案。のちに「長崎ちゃんぽん」として親しまれる

 19. 1910年、横浜税関を退職した尾崎貫一は横浜中華街から12名の中国人料理人を招き浅草で「来々軒」開店

 20. 初の日本人経営者によるこの中華料理店は当時珍しかった「大衆店」で、醤油味の南京そばが主力であった


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